祖母を見舞いに長崎へ
2016.11.26・27
長く入院している祖母の調子がよくないということでお見舞いに行ったつもりが小旅行っぽくなってしまいました。
文書だと重い内容になるので、とりあえずライトな感じでさらっと振り返ります。
祖母の入院先がある島原市へは諫早から島原鉄道がわかりやすいのだけど、空路・新幹線だと割高。
関西発の最安・時短のルートは熊本まで夜行バス&フェリーで島原。熊本港のフェリー乗り場より。
最速は高速船だけど、最安の普通のフェリーに乗ります。
往復割があったり、熊本駅まで無料バス(申請が必要)が出てたりでかなりお得。
島原外港到着直前の船上より。手前に見える山は眉山。江戸時代に大崩落したことで知られています。
島原外港に到着。ご当地キャラがお出迎え。妖怪ウォッチの絵師さん作成のプロ仕様ゆるキャラですな。
島原外港駅前にある風車というレストラン。今は焼き肉レストランという看板が出ていました。
子どもの頃ここで初めて食べたマカロニグラタンが忘れられない思い出の店です。
島原鉄道で島原駅に到着。国鉄カラー(島鉄カラー)から一新されていてびっくりでした。
島原駅を撮影。お城っぽいデザイン。
そしてこちらが本物のお城。駅前から真っ直ぐ大手通りが伸びています。
病院の前から見た島原城。病院自体も城郭内の石垣の上にあり、城好きにはたまらない立地かも。
看病で滞在している母と叔父と合流し祖母の待つ病院へ。ずっと寝ていると聞いていたけど起きてくれていました。
見舞いを終えて昼食をとることに。これまたお城の隣にある姫松屋(有名らしい)という郷土料理のお店へ。
島原の郷土料理といえばこの具雑煮。あご(とびうお)の出汁がきいていて美味しかった。
実家で正月に食べる雑煮もこれに近い味だったなあ、と思い出したのだった。
食事の後、お城にでも上るか、ということになり島原城へ。観光モードへ突入。
城内は島原の歴史や眉山崩落、普賢岳の噴火災害などの資料が豊富で知欲がかき立てられます。
天守閣最上階から眉山を望む。えぐれた感じのところが崩れて海へと押し寄せました。
海側を眺めているとちょうど島鉄が通ったので撮った一枚。
張本さんではありません。現南島原市出身の北村西望さんの彫刻です。
長崎の平和祈念像の方で、あのイメージが強いけど、場内の資料館にはユーモアあふれる作品も。
動物の彫刻も得意だったようで櫓内の展示室には迫力のある像がいくつも展示されていました。
ずっと前に友だちのリゾートバイト先に遊びに行ったところにも西望さんの作品が展示された庭園がありました。
引き寄せられる運命にあるのかもしれませんな。
観光を終えて祖母宅へ。立派な庭です。祖父が亡くなるまでは池に鯉が泳いでいたなあ。
中学までは夏休みには必ず帰省して過ごした思い出の場所です。
近所の祠。このあたりでもよく遊んでいました。
この細道を抜けて左に折れた先にパン工場や醤油工場があって、買い物に行った思い出が。
この道の雰囲気は今も昔も変わらない。
翌日再びお見舞いに行くと祖母はとても気持ち良さそうに眠っていました。
寝かせておけばいいのに起こす叔父、苦い顔の母。お別れを言って病院をあとにしました。
そのあとは島原外港近くのホテルでランチ。リゾートモードです。
母と叔父とはここでお別れ。ホテルに併設されている温泉に浸かります。お肌、すべすべさらさらです。
ホテルから外港までの道中。船溜まりと眉山の図。
島原外港の外観。おしゃれな雰囲気になっています。ここで土産など買って熊本へ移動します。
熊本港到着時にはもう薄暗くなっていました。夕陽が見られる時間帯も、天気が悪くてダメでした。
路電に乗って熊本の中心街へ。熊本にはもう何度も遊びに来たし、地震の1年ほど前にも来ていたのだけど
夜ということもあってかその頃と全く変わらない雰囲気でした。熊本駅はきれいに変わっていたかな。
夕食に熊本ラーメンをいただきます。「こむらさき」本店より。
温泉と豚骨コラーゲンでますますお肌つやつやになります。
バスの出発時間まで時間があったので熊本城へ。夜の清正公、迫力あります。
和傘のオブジェ。照明に映えていい感じ。
石垣にはやはり地震の大きな爪痕が。櫓が崩れずに乗っているのが奇跡とも思える状態です。
復旧には20年かかると言われているけど、一日も早く元の美しい姿を取り戻してほしいですね。
結局見舞いに行ったのか観光に来たのかわからなくなってしまった2日間に。
2日目のお見舞いの後、風車でご飯が食べたかったなあとか、武家屋敷見たかったなあとか
かんざらしがたべたかったなあ、とかは心の中にしまっておきました。
後日・・・(重たい話になります)
祖母も元気を取り戻してきたかな、よかったな、と思っていたのだけど、翌日の夜亡くなりました。
いとこがまだ会いに行けてなかったからそれまで元気でね、と話してきたのに、待ちきれなかったのかなあ。
僕が来るのを待ってくれていたのか、はたまた、とどめを刺しに行ってしまったのか・・・
葬儀に行けなかったのは心残りだけど安らかな最期だったことが救いでした。
あの世とやらがあるのなら、そちらで穏やかに過ごしておられるのを願いいています。